文字の大きさ
  • 大
  • 中
  • 小

退任について Q&A

退任にあたりご質問にお答えしました

市長としてのやりがいは何でしたか。
市長のやりがいは、決定し実行できること。市長は予算や政策をつくって、実際に進めていくことができます。そして、市は市民に一番身近な行政。
実行したことの結果を身近に感じることができました。例えば、保育園を増やして、同世代のお母さんから「仕事を辞めなくてよかった」とおっしゃっていただいたときには、涙が出ました。また、補助金をカットすれば、市役所に抗議にいらっしゃったりしたこともあります。そのようなことも含め、結果が返ってくるということが市長の仕事の責任であり、やりがいでした。
印象に残っていることは何ですか。
いじめ事件については、中学生が亡くなられたのは、私が市長になる前ですが、私が就任した後、亡くなられた中学生のために、第三者調査委員会を立ち上げ、当時の教育委員会とたたかい、いじめ対策に全力を尽くしてきました。当時は、1つの小中学校で見つかるいじめは、1年間で1件くらいしかありませんでしたが、いじめ対策担当教員の配置などの結果、現在では、130倍に増えています。また、ご遺族とともに国への提言活動を行い、国でも、いじめ防止対策推進法が成立し、教育委員会制度が改正されました。いじめ対策には終わりはなく、これからも、大津市で全国で、やり続けなければならないことです。
大変だったことや辞めたいと思うことはありましたか。
正直にいって、一度もありません。私には、市民の皆さまとの約束を果たすという信念と大津に住む人を増やすという夢がありました。私にとっては、それが全てでした。
初当選のときは36歳。女性だから苦労したことはありますか。
自分ではあまり意識したことはありませんが、市民の方から、「男やったら、こんなに言われへんのになあ」と言われたことがあります。また、トップダウンのリーダーシップと批判されたこともありますが、選挙で選ばれた市長がリーダーシップを発揮しなければ、誰が市民との約束を果たすのかと思い、全力を尽くしてきました。女性だから協調性があるというような見方は偏見で、私は、私の信念とやり方を貫いてきました。私は、36歳で市長に就任したとき最年少の女性市長でしたが、実は、8年経った今も、最年少の女性市長です。女性市長が増えないことは残念に思いますが、これからも、どんな立場かは分かりませんが、いろんな立場の女性を応援していきたいです。
越さんのやり方がこれまでの行政風土にあわないなどの批判もあったと思いますが。
「ディスラプション(創造的破壊)」という言葉があります。これは、例えば、インターネットができて紙でのやり取りが一変したというような、これまでのやり方を根底から覆して、新しい変革を生み出していくというものです。私は、これまでの大津市は、平成の時代になっても、昭和の時代のやり方をしていたと思っています。昭和の時代の行政頼みのやり方というのは、人口が増加する前提で、市がどんどんお金を使って公共事業などを進めるというやり方で、スピードも遅いです。人口減少時代においては、より行政をスリム化して、市民や民間の力で早く物事を進める必要があります。その意味で、私は、これまでのやり方を「ディスラプション(創造的破壊)」したと思っていますので、批判も含めて、うれしく思っています。
退任はいつ決めたのですか。
私は、10年前の平成21年3月から、女性が仕事と子育てを両立できる大津をつくりたいと思って、市長に立候補することを考えてきました。そして、一期目のマニフェストには、「4年で変える!」と書きました。そこに込めた思いは、4年でやり遂げようということでした。しかし、1期目の4年間では全てやり遂げたとは思わなかったことから、皆さまのご支援をいただいて、2期目への立候補を決めました。2期目の立候補を決めた時点で、次の4年で必ずやり遂げると固く決意しました。そこで、退任を決めた時期というのは、4年前になります。また、マニフェストを達成したら退任するということは、立候補を考えた10年前に決めました。
これからはどうするのですか。
しばらくゆっくりして考えます。私は、市長になる前、10年弱、弁護士として仕事をしていました。でも、そのうち2年間は、アメリカで大学に行って、日本の女性が置かれている状況に気づいて、大津への思いが強くなりました。これまでも、自分の人生は10年単位で、8年ほど働いて、2年くらいゆっくり色々なことを考えるというパターンでした。これから、しばらくゆっくりして、また、全然違う世界で自分にしかできないことを探していきたいです。
越さんは政治家ではないのですか。
私は、自分のことを市長であって、政治家だと思ったことはありません。だから、これから他の選挙に出るということはありません。そして、政治家は有権者に好かれることが仕事だと思いますが、私は、誰かに好かれたいと思ったことはなく、嫌われても今やらなければならないことをするべきだと覚悟を決めて、実行してきました。特に、2期目になってからは、私自身退路を断って、他の人ではできない痛みを伴う改革を全力で進めてきました。政治家や権力者にはなりたくない、最後まで挑戦者であり続けたいと思ってきました。
最後に、応援していただいた皆さまに一言。
私が何も知らないときから、私を育て応援していただいた皆さまには、感謝の言葉しかありません。皆さんは、私の親であり、先生であり、同士です。本当にありがとうございました。

ページの先頭へ